ひとりごと

人生ハードモード 日記風の自己満ブログです

生まれつきの病気+わたしのこと

お久しぶりです( ¨̮ )

なぜか急にブログを書きたくなったので書きます。笑 

ただの自分語りブログですがよかったら見ていってください!

 

私は「口唇裂口蓋裂」という生まれつきの病気を持って生まれてきました。

鼻と口の間(?)がなく、鼻と口が繋がっていて普通とは違う顔で生まれてきました。

 

0歳と1歳と幼稚園のときに手術をし、幼い頃のことなので覚えていませんが鼻の下にテープを貼ったりして過ごしていました。

あとこの病気の人は鼻から空気が漏れてしまうため、言葉を相手が聞き取れるようにはっきり話すのが難しく、何年も言語外来に通って、発声練習や音読練習などをしていました。

家でもチューブを使って毎日発声練習をしてました。

 

 

そして小学4年生のときにも手術をしました。

小学4年生時代は、学校のクラス内は楽しかったのですが、帰り道(4人グループで帰っていたけど軽くいじめられていた。でも1人で帰るのが嫌だったので耐えるしかなかった)と習い事のバドミントン(みんなについていけずいろいろとつらかった)、そして何より家がつらかったです。

 

妹と毎日のように喧嘩をしていて、私は完全に妹が悪いと思っているのに母親は妹の味方ばかりするのですごくつらかったです。

妹と私が喧嘩する→殴り合い、物投げ合いの凄まじい喧嘩→喧嘩の一部始終を知らないのになぜか母親は妹の味方をする→私は居ないかのように放っておかれ、妹と母親で布団のところで遊んでる→私は1人で号泣

こんな感じでした。笑

 

奥底から込み上げてくる怒りとどこにも発散しようのないストレスで、本当に実行しようとは思ってなかったけど、台所の包丁を出して眺めていました。

まだ小学4年生の自分が死んだら全国ニュースにもなるかなと思って「小4 自殺」という見出しの新聞記事を妄想していました。

 

小4の夏休みに自分が入院することを知って、「入院したら今の生活から抜け出せる、何かしらの変化がある、いつもの家じゃないところで暮らすから楽しいかもしれない、入院生活、ワクワクする!」と思って、入院するまでは死なないでおこうと考え、ずっと入院を楽しみにしてたことを覚えてます。

 

待ちに待った入院は、ずっと通っていた大阪の枚方にある関西医科大学付属病院でしました。

(地元の病院では手術できる先生がいないから)

自分の住んでる田舎とは違う都会の病院で、エレベーターが完全透明だったり、広くて大きい病院でワクワクしました。

 

手術は入院した次の日で、手術と手術後はめちゃくちゃつらかったです。

全然動けないし喋れない(声が出ない)し身体中が痛いし、ご飯も食べれないから変な味のドロドロの食べ物を喉からチューブで胃に通されて、毎回軽く吐きそうになりながら摂取してました。笑

でも数日後にはもう自由の身になっていて、そこからがめちゃくちゃ楽しかったです。

耳の病気で入院してたひとつ上の女の子と仲良くなって、毎日遊んでました。

子ども病棟だったので遊び道具や広場がいっぱいあって、そこで台とかボールとかいろいろ並べてミッションとか言って、自分たちで作ったこのステージを何秒でクリアできるか、とかやって遊んでました。

 

病院の先生が入院中の子ども達を集めて映画も観させてくれました。モンスターズインクだったと思います。最高に楽しかったです。

当時のクラス担任の先生もお見舞いに来てくれて、本とかを持ってきてくださいました。

 

だから入院生活が終わるのがとんでもなくつらくて悲しかったです。

 

 

話が飛んでしまうのですが、口唇口蓋裂で生まれてきたので小さい頃とかは鼻が左右非対称でけっこう歪んでました。

そのため通りがかりの人には指差して何か言われたり変な目で見られたりしました。

小学生のときには男子にからかわれたり見た目の悪口を言われ、バイ菌扱い(エキス扱い)などされたりして、これが長い間かなりトラウマになって心の奥底にどす黒い思い出として沈んで長年苦しめられました。

 

中学校でも入学して1年くらいは違うクラスの男子とかに通りがかったときに指差して笑われたり、入学した次の日は何人かの男子が自分のクラスにやってきて珍しいものを見るような感じで私のことを見てきて、すごく惨めで、なんで自分だけがこんなつらい思いをしなければならないのだろう、なぜ自分は普通になれないのだろう、普通になりたいだけなのに、と思っていました。

こういうエピソードは、確実に私の自己肯定感を低めた原因のひとつになっていると思います。

 

そういうことはあったものの、中学1年生や中学2年生はかなり楽しい時期でした。

人前で話すときに笑いが止まらなくなる症状が良い方向に影響して(?)、多くの人と打ち解ける?結果になりました。あと人を笑わせるのが好きだったので自分から簡単なネタ?芸?を何人かに見せたりもしてました。(基本は大人しいキャラでしたが)

友だちに「〇〇は人気者やな」と言われたりしました。

授業では積極的に手を挙げて、勉強も頑張っていて先生とも仲良くて、いろいろと充実していて楽しかったです。 

 

部活はバドミントン部に所属していて、入りたての頃は先輩から見た目のことで笑われたりしてつらかったけど、途中からバドミントン部の同級生の女子ほとんど全員(40人くらいいたと思う)と仲良くなってワイワイした日々を送ってけっこう楽しかったです。

 

中学3年生(中学2年の途中)くらいからは発達障害の症状が顕著に出てきてここから社会不適合の道を歩み始めましたが、今回は発達障害のことを書こうと思ってないのであまり書きません。

 

とにかく中学3年生と高校生活3年間は暗黒時代で人生の黒歴史です。 

強迫性障害になり外出、登校が困難になったり発達障害の影響でクラスで1人だけぼっちになり確実に精神を病んでいってまともに学校に通えなくなりました。

長くなるので書きませんがここでも一段と自己肯定感が下がりました。あとここでだいぶコミュ障がひどくなりました。笑

 

中1、中2のように楽しい時期はあったものの自分が知らなかっただけで発達障害をもっていたので、完全に楽しい時期というのはなくいつも社会不適合を感じながら、耐えて耐えて、自分を騙し騙しで頑張って生きてました。

 

高校生のときに通っていた精神科で醜形恐怖症だと言われました。

自分の外見に異常なほど自信がなく、偏った認知をしていたそうです。

 

今まで外見のことで長年からかわれてきたので自分の外見は人と違いおそろしく醜いものだと思っていました。整形したいと思ってました。

(書いてませんでしたが中2のときに鼻に固形物を入れて鼻筋を作る簡単な手術をしました)(病気の治療の一環で)

 

でも大学に行くと、いきなり周りから可愛い、美人だと言われるようになりました。

お人形さんみたい、ミスコン出たらいいのに、などと言ってくれる人もいました。

電車で男子高校生の集団に外見を褒められてるのが聞こえたりしてきたこともありました。

 

今までとは180度違う周りからの評価に最初は戸惑いました。からかっているのかと思ったりもしました。

だけどいろんな人に外見を褒められるうちに、自分の認識がおかしかったのだと気づき、醜形恐怖症はなくなっていました。

今では前より自分の外見に自信を持つことができ、そこはよかったです。

 

他にも書きたいことはたくさんありますが、今回は生まれつきの病気のことに絞って書きました。

読んでくださった方、ありがとうございます。

何も生産的なことやポジティブなことが書けずすみません。

 

変なところで終わりますが、今回はここで終わりにします。笑

長いのにここまで読んでくださってありがとうございました! ( ¨̮ )/