大学でのある印象的な1日のこと
覗いてくださってありがとうございます。
今回は大学でのある印象的な1日のことを書きます。
これは簡単な前置きなのですが...
大学入学時には友だちができるかすごく不安だった私にも偶然が運良く重なって友だちができていました。いつメンと呼ばれる4人グループに所属し、私の居場所ができたと思っていました。
しかし愛を知らない私(この話をすると長くなるので愛を知らないとかの話はまた今度気が向いた時にします)はだんだんグループから孤立していきました。
その時の私は、自分が親に虐待されたり愛情のない家庭で育ったことによる傷の深さを自分でも認識できておらず、自分が本当の人の心の温かみや優しさや、人を幸せにするという概念を知らないことをまだ自覚しておりませんでした。
自分は周りの友だちと同じ土台に立っていて対等に接することができると思っていました。
自分がアスペルガーだということもあまり認識しておらず、他人の気持ちが想像しにくかったり自分が自分勝手で自己中だということも自覚しておりませんでした。
ずっと自分が他の3人に迷惑をかけていることや、知らないうちに傷つけたりしていることを知らないまま過ごしていました。
4月に出会って仲良さのピークはすぐに過ぎ、それからだんだんと私は孤立していきました。
ある日いつメンの4人でユニバに行きました。
ユニバで他の3人はどう思っていたか分からないけど、私はかなり孤立していました。
他の3人で喋って、私は会話に入れないような感じです。なぜ自分だけ孤立するのか分からなくて、惨めで情けなくて寂しくて悔しくてつらくて、1人でたまに泣きそうになってました(表面上は明るくしてたけど)。
こういう風に書くと3人が悪いみたいにとられてしまうかもしれませんが、先ほども書いたように(?)それはむしろ逆でした。
この頃はつらくて3人に敵意すら湧いていましたが、3人は本当は愛情深い優しい人で、私だけが愛を知らない自己中で冷たい人だったから孤立していただけだったのです。
3人は私を愛してくれていたのに、私がその愛に気づかず無下にあしらって、1人にされたと勝手に落ち込んで勝手に敵意を向けていただけだったのです。
私がこのことに気づくのは、もう少し先で夏休みの9月頃だったと思います。
簡単な前置きのつもりが簡単じゃなくなってしまいました、ごめんなさい(> <)
でもできれば最後まで読んでもらえたら嬉しいです。
ここから本題?です。
私たちいつメンの4人は学園祭実行委員サークルに所属していました。
私たちはユニバで学園祭実行委員サークルの先輩たちのお土産を購入しており、その日はそのお土産をサークルの先輩たちに渡しに行く日でした。
ユニバに行った日から私の孤立状態はよりひどくなっていて、渡しにサークル室に向かう道のりも私だけほぼ孤立していました。
私はもう3人にあまり話しかけないようになっていて、3人+ただの付き添いの私 というような感じでした。
サークル室で私はずっとつくり笑顔だけつくったままほぼ一言も発さず、3人は先輩たちにお土産を渡していました。
私たちは毎日サークル室でお昼ごはんを食べていたので私は確かその時おにぎりを食べてたんですけど、食べながら涙がボロボロと止まらなくなりました。
先輩たちと仲良く話す3人を見て、今まで感じていた孤立感や、大学に入っていろいろ頑張っているのになかなか報われない思いなども溢れてきて、もう限界でした。
ここで1人で泣くのはおかしいと思い必死に涙を止めようとしましたが、そんな気持ちとは裏腹に涙が次から次へと溢れてきました。
みんなに気づかれて騒がれるのは嫌だったし恥ずかしかったので、できるだけ目立たないようにサークル室から出て行きました(おそらく何人かの人には気づかれてたけど)。
そしてそのまま保健室に直行し、保健室の顔見知りの先生が「どうしたの!?」「大丈夫か(;;)」的なことを言ってくださって個室で1人で泣きました。
そのまま4人で出るはずだった次の授業もブッチしてずっと泣いてました。
けどこのまま泣いてても何も始まらないしこんなことくらいで気にしない強い人になりたいと思ってたので前向きにいこうと思いました。
Twitterに泣いてることや前向きにいこうということをツイートしており、そしたらある人が詳しい言葉とかは忘れたけど「頑張ってるね」「頑張れ」みたいな応援ぽい言葉をツイートしてくださって、嬉しかったです。
そしてその日の放課後は、所属していた学園祭実行委員の活動がありました。
泣いてたときはこんな状態じゃ絶対実行委員の活動なんて行けないと思ってましたがやっぱり頑張ろうと思って活動に行くことにしました。
部署の1回生から代表の2人ずつが参加する学園祭の看板作りの作業でした。
泣いて気分的に吹っ切れたからか視線恐怖症の症状が一切出てこなくて、自然体に、ありのままの明るい自分でいることができました。
知らない人ともすぐに仲良くなって盛り上がれて、私にとってはすごくすごく楽しい時間でした。
ここで1人の大事な友だちともぐっと仲が深まったように思います。
ここでは別のメンバーが別の居場所を私に与えてくれたように感じました。
(自分だけが仲良いと思ってる部分もたくさんあると思うし、次の日からまた視線恐怖症が出て大人しい自分になったのでほとんどの人とはこの日限りの関係でしたが。というかこんなことはどうでもいいのですが。)
さっきまでは泣いてたけど参加して本当によかった!と思いました。
その日は最悪な1日だと思ってたのに良い1日になりました。
今ではいつメンと一応仲直り?したと思っているのですが、もしまだ私を受け入れてくれるのならもう一度会いたいなと思います(でもコミュ障なので不安)。
この大学に入ってこの3人や他の先輩や友だちと出会っていなければ今の自分はなかったと思うし、愛を知らないままで成長もできなかったと思います。
今はもう大学を辞めてしまいましたが、この大学に行くことが私の人生で必要なことだったと思うしこの大学に行って人生が変わったのでよかったです。
またまた変なところで終わりますが、ただの自己満ブログですが、読んでくださってありがとうございました。
生まれつきの病気+わたしのこと
お久しぶりです( ¨̮ )
なぜか急にブログを書きたくなったので書きます。笑
ただの自分語りブログですがよかったら見ていってください!
私は「口唇裂口蓋裂」という生まれつきの病気を持って生まれてきました。
鼻と口の間(?)がなく、鼻と口が繋がっていて普通とは違う顔で生まれてきました。
0歳と1歳と幼稚園のときに手術をし、幼い頃のことなので覚えていませんが鼻の下にテープを貼ったりして過ごしていました。
あとこの病気の人は鼻から空気が漏れてしまうため、言葉を相手が聞き取れるようにはっきり話すのが難しく、何年も言語外来に通って、発声練習や音読練習などをしていました。
家でもチューブを使って毎日発声練習をしてました。
そして小学4年生のときにも手術をしました。
小学4年生時代は、学校のクラス内は楽しかったのですが、帰り道(4人グループで帰っていたけど軽くいじめられていた。でも1人で帰るのが嫌だったので耐えるしかなかった)と習い事のバドミントン(みんなについていけずいろいろとつらかった)、そして何より家がつらかったです。
妹と毎日のように喧嘩をしていて、私は完全に妹が悪いと思っているのに母親は妹の味方ばかりするのですごくつらかったです。
妹と私が喧嘩する→殴り合い、物投げ合いの凄まじい喧嘩→喧嘩の一部始終を知らないのになぜか母親は妹の味方をする→私は居ないかのように放っておかれ、妹と母親で布団のところで遊んでる→私は1人で号泣
こんな感じでした。笑
奥底から込み上げてくる怒りとどこにも発散しようのないストレスで、本当に実行しようとは思ってなかったけど、台所の包丁を出して眺めていました。
まだ小学4年生の自分が死んだら全国ニュースにもなるかなと思って「小4 自殺」という見出しの新聞記事を妄想していました。
小4の夏休みに自分が入院することを知って、「入院したら今の生活から抜け出せる、何かしらの変化がある、いつもの家じゃないところで暮らすから楽しいかもしれない、入院生活、ワクワクする!」と思って、入院するまでは死なないでおこうと考え、ずっと入院を楽しみにしてたことを覚えてます。
待ちに待った入院は、ずっと通っていた大阪の枚方にある関西医科大学付属病院でしました。
(地元の病院では手術できる先生がいないから)
自分の住んでる田舎とは違う都会の病院で、エレベーターが完全透明だったり、広くて大きい病院でワクワクしました。
手術は入院した次の日で、手術と手術後はめちゃくちゃつらかったです。
全然動けないし喋れない(声が出ない)し身体中が痛いし、ご飯も食べれないから変な味のドロドロの食べ物を喉からチューブで胃に通されて、毎回軽く吐きそうになりながら摂取してました。笑
でも数日後にはもう自由の身になっていて、そこからがめちゃくちゃ楽しかったです。
耳の病気で入院してたひとつ上の女の子と仲良くなって、毎日遊んでました。
子ども病棟だったので遊び道具や広場がいっぱいあって、そこで台とかボールとかいろいろ並べてミッションとか言って、自分たちで作ったこのステージを何秒でクリアできるか、とかやって遊んでました。
病院の先生が入院中の子ども達を集めて映画も観させてくれました。モンスターズインクだったと思います。最高に楽しかったです。
当時のクラス担任の先生もお見舞いに来てくれて、本とかを持ってきてくださいました。
だから入院生活が終わるのがとんでもなくつらくて悲しかったです。
話が飛んでしまうのですが、口唇口蓋裂で生まれてきたので小さい頃とかは鼻が左右非対称でけっこう歪んでました。
そのため通りがかりの人には指差して何か言われたり変な目で見られたりしました。
小学生のときには男子にからかわれたり見た目の悪口を言われ、バイ菌扱い(エキス扱い)などされたりして、これが長い間かなりトラウマになって心の奥底にどす黒い思い出として沈んで長年苦しめられました。
中学校でも入学して1年くらいは違うクラスの男子とかに通りがかったときに指差して笑われたり、入学した次の日は何人かの男子が自分のクラスにやってきて珍しいものを見るような感じで私のことを見てきて、すごく惨めで、なんで自分だけがこんなつらい思いをしなければならないのだろう、なぜ自分は普通になれないのだろう、普通になりたいだけなのに、と思っていました。
こういうエピソードは、確実に私の自己肯定感を低めた原因のひとつになっていると思います。
そういうことはあったものの、中学1年生や中学2年生はかなり楽しい時期でした。
人前で話すときに笑いが止まらなくなる症状が良い方向に影響して(?)、多くの人と打ち解ける?結果になりました。あと人を笑わせるのが好きだったので自分から簡単なネタ?芸?を何人かに見せたりもしてました。(基本は大人しいキャラでしたが)
友だちに「〇〇は人気者やな」と言われたりしました。
授業では積極的に手を挙げて、勉強も頑張っていて先生とも仲良くて、いろいろと充実していて楽しかったです。
部活はバドミントン部に所属していて、入りたての頃は先輩から見た目のことで笑われたりしてつらかったけど、途中からバドミントン部の同級生の女子ほとんど全員(40人くらいいたと思う)と仲良くなってワイワイした日々を送ってけっこう楽しかったです。
中学3年生(中学2年の途中)くらいからは発達障害の症状が顕著に出てきてここから社会不適合の道を歩み始めましたが、今回は発達障害のことを書こうと思ってないのであまり書きません。
とにかく中学3年生と高校生活3年間は暗黒時代で人生の黒歴史です。
強迫性障害になり外出、登校が困難になったり発達障害の影響でクラスで1人だけぼっちになり確実に精神を病んでいってまともに学校に通えなくなりました。
長くなるので書きませんがここでも一段と自己肯定感が下がりました。あとここでだいぶコミュ障がひどくなりました。笑
中1、中2のように楽しい時期はあったものの自分が知らなかっただけで発達障害をもっていたので、完全に楽しい時期というのはなくいつも社会不適合を感じながら、耐えて耐えて、自分を騙し騙しで頑張って生きてました。
高校生のときに通っていた精神科で醜形恐怖症だと言われました。
自分の外見に異常なほど自信がなく、偏った認知をしていたそうです。
今まで外見のことで長年からかわれてきたので自分の外見は人と違いおそろしく醜いものだと思っていました。整形したいと思ってました。
(書いてませんでしたが中2のときに鼻に固形物を入れて鼻筋を作る簡単な手術をしました)(病気の治療の一環で)
でも大学に行くと、いきなり周りから可愛い、美人だと言われるようになりました。
お人形さんみたい、ミスコン出たらいいのに、などと言ってくれる人もいました。
電車で男子高校生の集団に外見を褒められてるのが聞こえたりしてきたこともありました。
今までとは180度違う周りからの評価に最初は戸惑いました。からかっているのかと思ったりもしました。
だけどいろんな人に外見を褒められるうちに、自分の認識がおかしかったのだと気づき、醜形恐怖症はなくなっていました。
今では前より自分の外見に自信を持つことができ、そこはよかったです。
他にも書きたいことはたくさんありますが、今回は生まれつきの病気のことに絞って書きました。
読んでくださった方、ありがとうございます。
何も生産的なことやポジティブなことが書けずすみません。
変なところで終わりますが、今回はここで終わりにします。笑
長いのにここまで読んでくださってありがとうございました! ( ¨̮ )/
今日のバイトの感想。
今日はバイトでした!
2時間だけだからラクだった〜。
「やよい軒」でバイトをしてるけど、今までのバイト先とちょっと違う。
やっぱりチェーン店だから規則とかしっかりしてる。今までのバイト先の中で一番厳しいと思う。
でも前のバイト先と比べてかなりラク!
前のバイト先ではレジやってたけど暇すぎて、時間過ぎるのが遅くて苦痛でしかなかったけど、やよい軒は忙しいから時間を感じないからラク。
これなら4時間いけるのでは?と思ったくらいだ。
実は、忙しそうだから(家の近くというのもあったけど)って理由でやよい軒を選んだけど多分正解だった。
まぁこれから何があるか分からないし、私のことだからとんでもないミスをして怒られたり、従業員の中で仲間はずれになったりと色々あるかもしれんけどね...
(そう思っておかないと!笑)
でも今日は、途中から「私はみんなの幸せを願うんだ 」ってけっこう前向きな気持ちでやれた。
きっとそう考えないと幸せにはなれない。
卑屈になって人を羨んだり嫌いになったりしてたら自分が余計つらくなって堕ちていくだけだからな...
相変わらず視線恐怖症は出ちゃったけど泣
最近よく自己肯定感があれば無敵じゃんとか思ってしまう、自己肯定感のある人が羨ましい。
私はみんなとスタート地点が違うんだし焦らずに自分を責めないでいこう。
そういやバイトのおばちゃんに「アスペルガーのこと言ってくれてありがとう。勇気いったやろ。」って言ってもらえて嬉しかった。ありがとう。
キビキビ動く。なるべく自然体で目の前のことに夢中で。みんなを幸せにする気持ちを忘れずに。お客さんの前ではスムーズに軽い感じで対応する。感情込めすぎたりするとイライラさせてしまうから。
これを忘れずに。
次はもうちょっと自然体で気どらずに書けたらいいな。
バイトのことだけで喋りすぎた感。
さらば。